「間(ま)」に全てある

「間(ま)」に全てある

 踊りを覚える時、フラメンコの場合、パソ(足の運び)をまず覚えますね。足が出来て初めて上体やブラッソ(ここでは腕や指先の動き)を覚えます。もちろん全部連動しています。踊る時、全身使え!とよく言われるますね。

 さて、体が振り付けを覚えて、動けるようになると、(踊れるとはまだ言いません)次は表現です。自分を乗っける作業になります。

 型を忠実に再現した上に自分を表現する歌舞伎やクラシックバレエとは対照的に、フラメンコは、キャラクターダンスですから自分をどう表現できるから勝負のしどころです。踊りにどう自分を乗っけるか、です。

 自分の気持ちを振付に乗っけた途端に、またはぶつけた途端に、今まで間違えなかったところをバンバン間違えたりします。皆さんそうです。この対策は繰り返し練習するのみです。ハハハ😆

さて、じゃあ次の段階はなんでしょう?

 長く踊りをやってきて感じるのですが、、

 これは「間(ま)」だなあと思うんですわ。

 パソとパソの間にこそ表現の泉があります。噴き上げる噴水のようにほと走る情熱も、途切れることなく沸き続ける淡々とした感情も、全部パソの間で表現できるなあと思います。もちろんパソでも表現できます。これは言わずもがなですね。

 私達は普段から無意識に相手の「間(ま)」を探っていると私は考えています。時に、言葉と一致しない感情が間(ま)に現れてます。

 初対面の人が親近感を持って私に話しかけてくれる時、相手の本音は、その人の言葉や仕草の間(ま)に現れます。

 私はビビリなので、相手の言葉よりその間(ま)ばかり見ています。というか、それしか見えてません。

あとは目ですよね。その人の心を示すものは。でも目で騙す人もいるからまあ、それだけで、相手のことはわかりません。

 それから、いい人そうなのに、なんか違う!って思う時、、これは違和感が(第六感)あなたに何かを警告してくれていますよね。

 ちょいと脱線してしまいましたが、今日いいたいことは、踊りと人の全ては目と仕草と間(ま)に現れるなあと言うことでした。

 踊りに戻りますが、フラメンコのギターや歌い手さんは、
踊り手のバイレ(踊り)を見ると、すぐにその踊り手がどんな人間かがわかるそうです。

「うんうん!」

私もそう思います。

私もそろそろフル稼働します。

身体の不調からやっと復帰出来そうなので。

ありがたい話です。本当に。

合掌

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