置き忘れ

置き忘れ

こないだ一泊で実家に帰省しました。

久々に一人で新幹線に乗り、
とにかく荷物の置き忘れだけはないように、慌てて転ばないようにと最大限の配慮で稲毛駅から東京駅に向かいました。

無事着いた!😆時間も早いし、カフェオレとお土産を買い、それでも時間があるのでトイレに行こうっと!

やってしまいました😢いつもの「置き忘れ」。なぜか新幹線の改札入って奥の方にあるトイレでいつも置き忘れてしまうんです。気が緩むのかなあ。

新幹線に乗ろうとエスカレーターに乗りながら荷物の数を数えてやっと気づきました。

やだー😩!また忘れた!

エスカレーターを急いで登り切り、今度は階段を一目散に下ってトイレに向かいました。

昔、幼い子供達を連れてトイレに入り、三人分の買ったばかりのピカチュウ弁当(ピカチュウナプキン付きで結構高かった💦)をトイレに忘れ新幹線に乗車したことを思い出しながら、
「まあ、なくてもいいや、また買えばいいし、、」と諦めながらトイレに向かいました。

すると、混んでいたトイレの先頭の人が「だれか忘れ物!」と私のお土産とカフェオレを手に皆に聞き回っていたんです!なんて親切なんやろ!

「ああ、わたしわたし」と最後尾で手を振る私に、なんと弁当とカフェオレは、並んでるいる人のバケツリレーで戻ってきたのでした!

ちょー感激🤩私は大声で「うわーありがとうございます!助かりましたあー」と言い残し、発車五分前になった新幹線へ猛ダッシュしたのでした。

車内で荷物を数え直し、「ああよかった」と席にドッスンと着席したのでした。

いつも早めに行動するけど、最後は時間がなくなるパターンばっかだよなぁぁぁ。

ともあれ、みなさんこの場を借りてお礼を申し上げまする。
ありがとございました😆🙏
🌸親を送る

 私の同年代の友人や知り合いには親の介護が始まった人も多いです。または親をすでに見送った人もいます。

 私は後者で、母は介護されることなく病気で亡くなり、父は長生きしてくれましたが、コロナ禍に亡くなったため最後の時期、ゆっくりお別れできませんでした。

 母が亡くなった時は、ああすればよかった、こうしてあげればよかったとたくさんの後悔が残りました。ですから、父が生きていてくれる間は、後悔が残らないように、出来るだけ子供達を連れて父の家に帰っていました。

父は99歳まで頑張ってくれました。病気もあったのに、よく頑張ったね、パパちゃん!

と言うと、私と父は仲良し親子のようですが、実は違いました。

孫が生まれてから父との関係は良くなりましたが

それまではお互い相容れない性格の親子でした。

父が亡くなり、葬儀の前夜、私は「ママはおじいちゃんと最後のお別れしてから帰るから、あなた達は先に帰っていてね」

と子供達をタクシーで家に帰し、私一人葬儀場に残りました。

そして父の棺桶の蓋を持ち上げました。

「うううーッ!」

思った以上に重い棺桶の蓋によろめきながら、「何が何でも落としてはいけない!」と踏ん張りました。

明朝、蓋が壊れて父がむき出しになっている姿を想像しながら、
それだけは絶対あってはならぬと思いました。

無事蓋を畳に置くと、冷や汗が吹き出しました。

そして

「二度とあなたの子には生まれてこない!」と父の肩を揺さ振りました。

私達にはいろいろな事がありました。

そして抱きついてひとしきり泣くと私の気持ちは晴れ、

「やっぱり次もパパの子でいいよ」と父を見つめました。

重い蓋をまた一人で持ち上げ、棺にかぶせると

「やっぱりいやだ」と口から独り言が漏れました。

その後で、祭壇の父の遺影を見上げながら、

実家の仏壇の引き出しから持ってきたお経本のお経を唱えて、

ひと息ついたところでタクシーで家に帰りました。

子育てと違い、いつまで続くかわからない介護。

私は実家から遠くで離れて暮らしていたので、ヘルパーさんに大変お世話になりました。

父は激しい人で、私1人では手に負えませんでした。

両親を送って思うことは、

人の最後っていろいろだなあということです。

共通しているのは

「逝く時は一人だ」

ということ。

私は、生きている間は、いろんな人と関わって生きようと思いました。

父が逝ってまる三年経ちました。

今は、来世も父の子として生まれたいと思います。

たぶん(笑)

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